新材料で健康・長寿社会の実現に貢献する -バイオ材料工学-
(2018年5月01日)
我が国では平均寿命が年々延びて、1976年に男性72.15歳、女性77.35歳だったものが、2016年には男性80.98歳、女性87.14歳になったと発表されました1)。この40年で男女ともに10歳ほど長生きになったことになります。これには、医療技術の高度化や、医療設備の充実によるところが大きいといわれます。一方で、人が「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」を健康寿命といいますが、健康寿命と平均寿命には10年ほどの開きのあることが知られています2)。昔に比べて長生きできるようにはなったけれど、人生最後の10年くらいは日常生活に支障のある不健康な状態で過ごさなければならない・・ということです。したがって、健康寿命を延ばして平均寿命との差を縮めることは、私たちが健康で幸せな生涯を全うするために、また、高齢者の医療・介護にかかる国の財政的負担を抑える上でも重要といえます。
健康寿命を延ばすこと、すなわち健康・長寿社会を実現するには、新しい医療・健康のための技術が必要です。そして、そのような技術の土台となる新しい材料を生み出すのが、このコラムのサブタイトル「バイオ材料工学」です。バイオ材料というのは、人の体を構成する組織や細胞、体液などの生体成分と接触した状態で使用される材料のことを指します3)。コンタクトレンズや歯の治療材料、人工骨などのように体に直接触れて、あるいは体の中に入れて使われる材料もあれば、細胞を培養するための基材など、体の外で検査や研究目的に用いられる材料もあり、すでに多くの材料が医療・健康の現場で使用されています。生体と触れて用いられることから、生体に異物認識されない性質や、細胞・組織となじみやすい性質、生体に害を及ぼさない安全性などを持つ材料が使われています。
しかしながら、健康・長寿を可能にするような新しい医療・健康技術を実現するには、今使われているバイオ材料だけで十分とはいえません。特に、健康の維持、難病の根治、そして体の機能の衰えた部分を補うための新しい技術が求められていますが、これらを実現するためには、材料に新しい機能を持たせることが必要です。たとえば、ごく微量の血液や尿の中から病気の予兆となる生体成分だけを選んで捕まえることのできる材料があれば、毎日自宅で簡単に健康チェックができる装置の開発につながります。また、体内の目的の場所にピンポイントで薬を運ぶことのできる材料があれば、薬が届きにくい場所にある病巣をやっつけることができます。そして、臓器の再生・修復を可能にする材料、あるいは臓器の替わりを半永久的に務めることのできる材料があれば、加齢や事故、疾病によって失われた体の機能を補うことが可能です。これらの材料に共通して求められるのは、周りの環境に適切に応答して、生体との間で起こる現象を制御するという性質です。そして、そのような新しいバイオ材料を作り出すためには、材料と生体の間でどのような現象が起こっているのかしっかりと理解し、そのメカニズムを明らかにした上で材料を作り出すこと、すなわち「バイオ材料工学」が必要になります4)。
我が国はものを作るための工学技術に強みをもっています。また、計測や解析のための新しい技術も登場しており、優れたバイオ材料を生み出す素地があるといえます。一方で、材料と生体との間で起こっている現象を科学的に理解して、材料作りに反映させる「バイオ材料工学」を進めるには、工学だけではなく理学、医学、生物学、情報科学などさまざまな分野の研究者が一緒に考えて、知恵を出し合い、協力することが欠かせません。研究者たちの協力・連携にもとづいて「バイオ材料工学」のサイエンスが進展すること、そして健康・長寿に貢献する新しい材料が生み出されることに期待したいと思います。
参考資料
1) 厚生労働省 平成28年簡易生命表の概況
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life16/index.html
2) 内閣府 平成29年版高齢社会白書
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2017/zenbun/29pdf_index.html
3) JST CRDS研究開発の俯瞰報告書 「ナノテクノロジー・材料分野(2017年) 3.2
ライフ・ヘルスケア応用」
http://www.jst.go.jp/crds/pdf/2016/FR/CRDS-FY2016-FR-05/CRDS-FY2016-FR-05_07.pdf
4) JST CRDS科学技術未来戦略ワークショップ「生体との相互作用を自在制御するバイオ材料工学」
(平成30年3月3日開催、後日報告書公開予定)
科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)
ナノテクノロジー・材料ユニット
荒岡 礼
荒岡 礼(あらおか あや)
2000年東京工業大学大学院理工学研究科博士課程修了(博士(工学))。物質・材料研究機構研究員などを経てJST入職。ナノテク・材料分野の研究事業を担当した後、CRDSナノテクノロジー・材料ユニットにて研究開発動向の俯瞰や戦略プロポーザルの作成に従事。