[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

つくばサイエンスニュース

ここに注目!

正体不明の寄生虫「芽殖孤虫」のゲノムを解読して、その正体にせまる(東京大学 菊地 泰生)

(2023年11月16日)

正体不明の寄生虫

 「芽殖孤虫」(がしょくこちゅう)による感染症が最初に見いだされたのは約100年前に東京大学病院皮膚科を受診した33歳の女性でした。全身の皮膚に糸くず状の寄生虫がうごめいているという見たこともない症状を示していました。これまでにこの奇病の報告数は全世界でわずか18例(うち日本国内は6例)しかありませんが、ほぼすべての症例が致死的な経過をたどっています。芽殖孤虫が人に感染すると皮膚をはじめとする臓器で幼虫が盛んに分裂して増殖して全身を徐々に蝕(むしば)みます。

 孤虫とは成虫が見つかっていない寄生虫につけられる名前です。その名の通り、芽殖孤虫が見つかっているのは人の体に寄生している幼虫のみで、成虫は見つかっていません。どこから人に感染するのかも分かっていない謎に満ちた寄生虫です。日本では1987年以降、患者は確認されていませんが今も効果的な治療薬はなく、外科的に取り除く以外に対処方法がありません。症例数が少ないため、研究はほとんど進んでいませんでしたが、1981年のベネズエラの症例から分離された芽殖孤虫をマウスに感染させ続けることで40年間国内で保存されてきました。

(左上)芽殖孤虫症例(皮膚近接写真)     (右)ネズミから取り出した芽殖孤虫虫体
(左下)分岐を繰り返した芽殖孤虫幼虫

 

芽殖孤虫のゲノム解読

 私たちのグループはこの寄生虫の正体を探るため、宮崎大学、東京大学、国立科学博物館の研究者と共同で、芽殖孤虫の全ゲノムを解読することにしました。ゲノムは生物の設計図であり、丹念に読み解くことでその歴史や性質を推測することができます。ゲノムを調べた結果、この寄生虫は約19,000個の遺伝子を持つことが分かりました。芽殖孤虫は近縁の寄生虫の異常個体だとする説もありましたが、遺伝子配列の比較から独立した新種であることが明らかになりました。

 さらに詳しくゲノムを調べた結果、この寄生虫は器官形成に重要な遺伝子や、性成熟に関わる遺伝子を欠失していることが分かりました。このことは、この寄生虫が、成虫となって有性生殖による卵の産出ができず、幼虫のまま一生を過ごす、真の孤虫であることを意味していました。

 さらに、私たちは宿主体内で盛んに増殖している幼虫に注目しました。その結果、盛んに増殖をする虫では、がん細胞で活発となる遺伝子と同様の遺伝子が活発に働いていることが分かりました。つまり、盛んに増殖する虫では通常の制御が働かず細胞増殖が暴走状態であるということです。この暴走を止めることが芽殖孤虫治療の鍵になると考えられます。さらに、増殖の盛んな虫体からはこれまで知られていない新しいタイプのタンパク質が大量に分泌されていることも分かりました。

 最新の研究により、これらのタンパク質は寄生した相手の免疫機構を操作する働きをもっていることが分かってきました。私たちはゲノム研究をベースにして、芽殖孤虫の元来の生活史の解明や治療薬の開発、新規分泌タンパク質の自己免疫疾患やアレルギーの治療への応用を目指して研究を続けています。

 

寄生虫の新しい生物学

 近代の医学生物学研究ではマウスやショウジョウバエ、酵母といったモデル生物が主役となって、様々な重要な知見をもたらしてきました。今後はそれ以外の生物(非モデル生物)が、医学生物学研究において重要になってくると考えられます。特に寄生虫は、人体内部という特別な環境に適応するために、独自の進化を遂げて様々な特殊能力を身につけています。例えば、寄生虫の持つ免疫コントロール能力や長寿命、あるいは特殊な染色体動態などは、外界の生物にはない研究対象としてとても魅力的な能力です。しかし、寄生虫研究は取り扱いの困難さなどの理由から、その大部分が未開拓のまま残されてきました。

 私たちの研究グループは、東京大学柏キャンパスで、ゲノミクスとモデル生物で育まれた最先端手法を使って、寄生虫特有の生物現象のメカニズム解明のために研究を行っています。ここに紹介した芽殖孤虫以外にも、様々な寄生虫を研究対象としており、寄生虫をモデルとした新たな生物学の創出を目指しています。今後はこのような非モデル生物の研究により、これまで理解しえなかった様々な生命原理が明らかにされ、革新的な技術開発につながっていくことが期待されます。

 

 

【参考文献】

Kikuchi T, Dayi M, Hunt VL, Ishiwata K, Toyoda A, Kounosu A, Sun S, Maeda Y, Kondo Y, de Noya BA, Noya O. et al. Genome of the fatal tapeworm Sparganum proliferum uncovers mechanisms for cryptic life cycle and aberrant larval proliferation. Communications Biology. 2021 May 31;4(1):649.

Kikuchi T, Maruyama H. Human proliferative sparganosis update. Parasitology international. 2020 Apr 1;75:102036.

 

【参照記事】

・ 「謎の寄生虫「芽殖孤虫(がしょくこちゅう)」のゲノムを解読(2021年5月31日発表)」

菊地 泰生 (きくち・たいせい) 

東京大学新領域創成科学研究科・教授
京都大学卒、英国サンガー研究所研究員、宮崎大学医学部准教授等を経て現職。寄生虫のゲノム、多様性、進化の研究を通して、寄生虫の持つ特殊な分子メカニズムを明らかにし、新しい生物学の創出を目指している。
キーワード:線虫、寄生虫、ゲノム進化、免疫操作、長寿、染色体削減