[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

つくばサイエンスニュース

ここに注目!

気候変動適応計画を積極的に推進

(2016年11月15日)

 2016年は、地球温暖化に伴う気候変動に関する新たな国際的枠組みが構築された年ということができよう。3月のSENDAI frameworkでは、防災と地球温暖化対策の統合が強調されたし、9月のSDGs(持続的開発目標)の国連での採択は、新たな国際協力政策の方向性を示すものであったし、12月のパリ協定は、今後の地球温暖化対策の幅広い展開を目指すものであった。一方、国内を眺めてみると、台風が頻繁に北海道を襲うなどの現象が起き、地球温暖化に伴う気候変動に関する世間の関心は、高まってきたように思われる。
 このような中で、平成27年3月には、「日本における気候変動による影響の評価」が発表された。研究者個人の判断に基づくとはいえ、いろいろな項目について重大性・緊急性・確信度についてまとめられたことは評価していいと思う。これに引き続き、我が国の適応計画が、平成27年11月に閣議決定された。このような流れの中で、各省は、積極的に適応に関する施策を準備し始めている。
 国立環境研究所としても、研究を通した新しい知見の集積のみならず、その知見を具体的な施策に反映させ、具体的な結果を示すことが今後は重要になるとの考えから、第4期の研究計画の中に、研究事業連携研究部門を設置し実践を行うこととした。その中に、気候変動戦略連携オフィスを置き、気候変動に関する影響評価と適応計画を積極的に展開する予定である。手始めとして、知見を広く知ってもらうために、気候変動適応情報プラットフォームを新設し2016年の夏から運用を開始した(http://www.adaptation-platform.nies.go.jp/index.html)。さらに、適応事業を発展させるべく、環境省とともに、気候変動影響評価・適応推進事業を展開しようと努力しているところである。今後のご支援をお願いする次第である。
 最後に、少しだけ所見を述べる。地球温暖化対策の歴史の中では、適応は意図的に無視されてきた様に思われる。その理由は、「排出削減こそが進むべき道であり、適応を考えることは温暖化を許容する風潮を助長する」と言うことであったと思われる。また、影響を受けるだけの発展途上国からの財政支援要求の肥大化を恐れる気持ちもあったことであろう。
 しかし、時代は変わったのである。3.11の福島原発事故にみられるように「想定外」のことが起きるのである。とすれば、あらゆる事態を想定して、対策を考えておくべきなのである。さらに、排出削減の緩和策は、ともすれば、省エネ技術の普及、あるいは、再生可能エネルギーの開発などという個別課題的な、取り組みやすい物事に流れてゆく傾向にあった。本来は、低炭素社会、脱炭素社会を構築する道を探るべきはずが、我々の社会の持つ慣性の故に、そのような取り組みは遅々として進まなかった。
 そのうちに、社会は大きく変わることになる。3.11は、国土の強靱化を改めて要請したし、エネルギー政策の見直しも不可避である。高齢化社会への対応も待ったなしである。いずれも、従来の20世紀型の社会の仕組みでは、21世紀が乗り切れないことを示している。気候変動に対する対策もその一つである。
 現代は、数多くの課題を抱えている。それらの課題は相互に結びつき、個別に解決策を求めることは不可能である。どうしても、全体を一体として解決してゆく道をとらざるを得ない。気候変動に対する適応策の実施のなかで、新しい21世紀の日本の社会像が描けたらいいな、と願っている次第である。

住 明正(すみ あきまさ)
昭和23年9月岐阜県岐阜市に生まれる。長良川の傍で育つ。昭和42年4月に上京、以降、東京で暮らす。昭和48年、大学院修士課程を修了後、気象庁に入る。予報部電子計算室で数値予報業務に従事、途中、2年間ハワイ大気象学教室助手として過ごす。気象庁にもどった後、東京大学から理学博士の学位を取得し、昭和60年4月に東京大学理学部地球物理学教室助教授となる。その後、気候システム研究センター設立に奔走、教授、センター長となる。さらに、サステイナビリティ学連携研究機構の設立に参画、地球持続戦略研究イニシアティブ統括ディレクターを経て退職する。平成24年10月より国立環境研究所理事、平成25年4月より同理事長、現在に至る。専門は、数値予報、気候システム学、そしてサステイナビリティ学。