[編集発行] (公財)つくば科学万博記念財団 [協力] 科学技術振興機構(JST)・文科省研究交流センター

つくばサイエンスニュース

ここに注目!

社会技術研究開発センター(RISTEX)のELSIに関する取組について

(2020年4月01日)

1.我が国におけるELSIの現状とRISTEXの役割 
 現代の科学技術は社会から多様な期待に応えることが求められるようになっています。一つには、人類の知的地平を拡大し、世界の理解を深める卓越した研究の推進です。二つには、社会にイノベーションをもたらす研究の推進です。三つには、地球環境問題やSDGsといった人類的社会的課題の解決に資する研究の推進です。これは日本に限らず世界の科学技術政策に共通の課題と言ってよいでしょう。

 その中で、社会技術研究開発センター:Research Institute of Science and Technology for Society(以下、「RISTEX」という。)※1は、研究資金配分機関である科学技術振興機構(JST)の一組織として二番目と三番目の研究の推進に積極的に取り組んできました。いずれもブダペスト宣言にいう「社会の中の科学・社会のための科学」の推進です。社会のための科学技術の推進という課題において、本当に社会が求めている科学技術とは何かを考えることが必要なのです。現代の科学技術の進展はきわめて急速であり、「できること」が爆発的に拡大しています。しかし、「やって良いこと」、「やらなければならないこと」そして「やってはならないこと」の検討が遅れがちです。近年では、ゲノム編集技術を利用した人間の誕生、AI技術によるプライバシー侵害などが社会の耳目を集めています。これらは科学技術に関するELSI(Ethical, legal and Social Issues/Implications)の事例として、世界の研究コミュニティや産業界を巻き込んだ、現代の重要な検討課題になっているのです。

 そもそもELSIの研究は1990年代のヒトゲノム計画に際して、ヒトの遺伝情報の解読が社会にどのような影響をもたらすかを、解読研究と平行して推進するための研究予算制度でした。以来、欧米各国ではライフサイエンスにとどまらず、さまざまな新規科学技術研究にELSI研究が組み込まれ、大学にもELSI研究と人材育成のための組織が作られていきました。しかし日本では、ライフサイエンスにおける散発的な実施にとどまり、社会のための科学技術の研究開発に必須の取組みとして、予算制度に組み込むべきいう理解は広がりませんでした。そこには、ELSI研究が自由な研究のブレーキ、あるいは障害になるという、誤解に基づいた印象があったようです。しかし、ELSI研究は社会のための科学技術の実現をするためのハンドルとでもいうべき存在と考えるべきなのです。科学技術を社会で活用するための必要不可欠な研究という認識が広まってほしいものです。

 現状、日本のELSI研究者の層は薄く相互のネットワークも構築されていません。その結果、日本の科学技術と社会の関わりを踏まえたELSIの議論の蓄積が少なく、欧米の論調の紹介と追随になりがちで、日本からの発信が十分とは言えません。人材育成の仕組みもありません。こういう状況を打破し、イノベーションの創出や社会的課題解決のための研究を推進するためにも、JSTそしてRISTEXは日本のELSI研究を支援していかねばなりません。社会が求めるイノベーションを実現するためには、研究開発システムにELSI研究を組み込むことがあたりまえという時代にしていきたいと考えています。強力な科学技術研究力を持つ日本が、その多様な経験や固有の文脈を踏まえて、世界に発信し得るELSI研究を推進することが、いま必要なのです。

 このようなELSIの重要性を踏まえ、RISTEXは、2016年度より開始した「人と情報のエコシステム」研究開発領域※2において、AI等の情報技術に関わるELSIについての研究開発に取り組んでいることに加え、エマージング・テクノロジーをはじめとする科学技術のELSIについて対応の実践とその方法論の開発、多様なELSI人材の養成等を狙いとする新たなファンディングによる研究開発プログラムの2020年度の開始に向け、検討を行っています※3

 また、ファンディングによる研究開発のみならず、最先端の科学技術に関する研究開発を推進する資金配分機関の責務として、JST内の各研究開発事業部門と機動的に連携し、研究開発とELSIへの適切な対応を同時並行で推進するための調査研究・分析活動も行っています。

 具体的には、(1)急激に進展するゲノム関連技術のうち特にゲノム合成技術に焦点をあてた規範や価値観など倫理に関わる問題、(2)家畜動物の細胞を抽出して培養し人工食肉(培養肉)を製造する新興技術に対する法制度、安全・安心、社会受容に関わる問題、(3)3D プリンタを始めとするデジタルファブリケーション機器の高性能化・低価格化の進展に伴うPL法・PL保険等の制度の仕組みに関わる問題、の3つの問題について、JSTの各部署やステークホルダーとも連携し、ELSI対応に資する調査研究活動を進めています。今後、これら調査研究活動の成果について、積極的に発信を行っていきます。

 

 

2.科学技術イノベーション政策の加速に向けて 
 日本の科学技術イノベーション政策においては、「第5期科学技術基本計画」※4の中で科学技術イノベーションと社会との関係深化に伴う共創的科学技術イノベーションの推進とELSIの取組が示されています。また、「統合イノベーション戦略2019」※5では、我が国の文化を背景とした強みのあるイノベーションや、これに伴う倫理の考え方等を世界に発信する必要性が述べられています。

 産業界においても、経団連が策定した「Society5.0実現による日本再興〜未来社会創造に向けた行動計画〜」※6では、Society 5.0の実現に向けて、技術開発と同時にELSIに取り組むことの重要性が指摘されています。 

 世界に目を向ければ、ブダペスト宣言から20周年を迎えたWorld Science Forumが2019年に開催され、“Science, Ethics and Responsibility”をテーマに議論が行われ、倫理やコミュニケーションなどの科学の社会的責任が再認識されたところであります※7

 こういった科学技術と社会の関係において注目すべき世界の潮流や日本が置かれた状況を踏まえると、設立以来、社会の具体的な問題を取り上げ、その解決を通じた科学技術イノベーション創出のための取組を推進してきた実績をもつRISTEXが果たすべき役割は大きいと考えています。  

 RISTEXは、ファンディングによる研究開発とJST他事業との連携による調査研究活動の両輪で、日本におけるELSI対応の先駆的役割を果たしていきます。また、JST内外のELSIに関する動きとも連携しつつ日本の文脈を意識したELSI対応の方法論の獲得及び人材育成、ネットワーク構築を図ることで、科学技術イノベーションの加速に資する日本発のイノベーションエコシステムの構築に貢献していきたいと考えています。

 

(参考)

 ・1 RISTEXは、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の一組織。1999年「世界科学会議」にて発表された「科学と科学的知識の利用に関する世界宣言(ブダペスト宣言)」で追加された新たな科学の理念「社会のなかの科学・社会のための科学」を実践するために2001年創設。
URL:https://www.jst.go.jp/ristex/

 ・2 「人と情報のエコシステム」研究開発領域
URL: https://www.jst.go.jp/ristex/hite/

 ・3 令和2年度 RISTEXにおける新規公募開始の予告 
URL:https://www.jst.go.jp/ristex/proposal/current/proposal_2020.html

 ・4 第5期科学技術基本計画
URL:https://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/5honbun.pdf

 ・5 統合イノベーション戦略2019
URL:https://www8.cao.go.jp/cstp/togo2019_honbun.pdf

 ・6 経団連「Society5.0実現による日本再興〜未来社会創造に向けた行動計画〜」
URL: https://www.keidanren.or.jp/policy/2017/010.html

 ・7 World Science Forum Declaration
URL:https://worldscienceforum.org/contents/declaration-of-world-science-forum-2019-110073

 

科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター 
上席フェロー
小林 傳司

 

小林 傳司(こばやし ただし)

 1954年生まれ。1983年東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学。福岡教育大学、南山大学等で教鞭を執った後、2005年より大阪大学理事・副学長を歴任、2019年より現職。
 専門は、科学哲学・科学技術社会論。著書に、『誰が科学技術について考えるのか コンセンサス会議という実験』名古屋大学出版会、『トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ』NTT出版ライブラリーレゾナントがある。