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研究者コーナー

007. パリ2024大会 サッカー競技の公式試合球の性能とは?(筑波大学名誉教授 浅井 武さん)

(2024年6月01日)

 科学技術はスポーツにも数多くの革新をもたらした。特にサッカーでは世界的なマーケットの巨大さも誘因となり、毎年のように新しいテクノロジーを搭載したボールやスパイクが生まれている。今年は7月に開幕が迫ったパリ2024大会の公式試合球「イルデフット24」が発表された。このボールについて、スポーツバイオメカニクスの第一人者である筑波大学の浅井 武 名誉教授にお話を伺った。


浅井 武(あさい・たけし)さん

1956年生まれ、名古屋市出身。筑波大学体育専門学群、同大学院体育研究科修了。山形大学地域教育文化学科助教授、筑波大学大学院人間総合科学研究科コーチング学専攻長、環太平洋大学体育学部教授など歴任。専門はスポーツバイオメカニクス、スポーツ工学、スポーツコーチング。工学博士、元日本フットボール学会会長、日本機械学会フェロー。

研究のきっかけは「自身がサッカー選手出身で、サッカーのキックを研究したいと思ったこと。」

手に持っているボールは、「イルデフット24」。

 

70年の白黒ボールに始まる公式球の歴史

 サッカーボールの歴史をおさらいすると、最初の公式試合球は1970年FIFAワールドカップ(W杯)メキシコ大会で使われた「テルスター」だった。五角形12枚と六角形20枚を組み合わせたパネル構成は、長くサッカーボールのスタンダードになった。
 その後の技術革新で、表皮は天然皮革からポリエステル素材になり、製法も糸による縫製から熱圧着へと変化。パネルの枚数もモデルチェンジごとに減少を重ねた。こうした傾向の一つのピークが、2010年南アフリカW杯の「ジャブラニ」だった。より真球に近い8枚パネルの構造と、滑らかな表皮形状を持つこのボールは、ピンポン球のように上下左右へと軌道が複雑に変化し、魔球とも呼ばれた。
 次の2014年ブラジルW杯の「ブラズーカ」からは、表面のラフネス(粗さ)を高める方向へと変化した。ゴルフボールのように表皮にディンプル加工を施すことで、飛行中のボールの周囲の空気の流れをコントロールしている。(図1)

図1. 歴代公式試合球の空力特性

左から「イルデフット24」、「テルスター1970」、「アル・リフラ」、「ブラズーカ」、「テルスター2018(2018年ロシアW杯公式球)」、「チームガイスト(2006年ドイツW杯公式球)」、「ジャブラニ」

 

ますます飛びが良く、よく曲がるボールへ

 今回のボール「イルデフット24」も、この流れの延長上にある。パネル構成では異形状の2種類のパネル20枚を組み合わせ、表皮にはエンボス(突起状(とっきじょう)シボ)とディボス(陥没状(かんぼつじょう)シボ)を施した。これらが空気抵抗を減らし、キックの正確性と飛行安定性を高めると同時に、よりカーブのかかるボール性能を実現したとされる。
 浅井さんは「イルデフット24」の空力特性を以下のように解析している。
 「2022カタールW杯の試合球『アル・リフラ』と比べても、より広いレンジで抗力係数(空気抵抗比率)が低減された。また反発が良く、キックにより受けたエネルギーがロスなくボールに伝わるため、ボールスピードが上がり飛びが良い。」(図2)

図2. 「イルデフット24(上)」と「アル・リフラ(下)」の比較データ

 

 表面のラフネスが増し、ボールの回転がかかりやすくなった影響はどうか。
 「スピンが効果的に働き、カーブがよく曲がる。このためサイドスピンなどを効かせた、速くて曲がるボールが効果的。例えばフリーキックの場面ならカーブキックで直接ゴールを狙う。あるいはサイドからドリブルでカットインし、ペナルティエリア付近からコントロールカーブシュートでトップコーナー(ゴールの上角)を狙うのも有効だろう。」

 

サッカーのキックを原点に広がる研究範囲

 浅井さんの研究の出発点は、運動のメカニズムを探ることにあった。
 「最初はボールを蹴(け)るといった動作の研究が中心だった。しかし、スポーツのパフォーマンス全体を見るには人の動きだけでなく、ボールがどう飛んでいき、ゴールに入るかまでを連続的に捉える必要がある。このためボールの動きなども研究対象になり、すると飛んだボールの周囲の空気の流れなど、エアロダイナミクス(空気力学)にも関心が出てくる。」
 

 こうして研究範囲はどんどん広がり、サッカーからバレーボール、ハンドボール、バドミントンなど他の球技にも発展。また、スキーのジャンプやダウンヒル、自転車、スケートなど空気抵抗が重要なスポーツウェアの開発にも、メーカーとの共同研究により携わっている。
 例えばバレーボールでは、ジャンプハイブリッドサーブという新しい技術の確立を図っている。これはジャンプドライブサーブの一種で、ボールスピードは変わらず、サイドスピンをかけたり、ノースピン気味に打ったりなど、少しだけ変化を加えて相手を混乱させる。
 「ボールの変化のための最も大きな要素は、インパクト時の手の当て方にある。迎え角(スイングの方向に対する打面の向き)を作ってやることでスピンの大きさが変わり、縦の迎え角が大きいとドライブサーブ、横の迎え角を大きくするとハイブリッドになる。」(図3)

図3. バレーボールにおけるジャンプフローター、ジャンプドライブ、ジャンプハイブリッドサーブのインパクト迎え角の比較(未発表データ)

 こうした技術は過去にもあったが、あくまで一部の選手が、自分なりの工夫や経験則で使っていた。
 「風洞実験によるボールの挙動解析や、モーションキャプチャーによる選手の動作解析など、データを取って数値化するのはこれが初の試み。情報をチームや競技団体と共有することで、誰もが使えるようになる。」

 

学生の自由な発想を論文に結実させる

図4. 移動マネキン口部から放出される呼気(エアロゾル粒子)の動態(a)を、粒子追跡流速測定システムによる大規模渦構造の流線で可視化した例(b)。マネキンは画面右側から左側へ移動している。

 変わったところでは、新型コロナウイルスの感染リスクとされる、呼気に含まれるエアロゾルの流れも調べた。(図4)

「呼気由来のエアロゾル粒子の流れを計測した結果、暴露される粒子数は対面通過後5秒以内にピークに達し、その後急激に低下することが分かった。この知見はさまざまな空気感染ウイルスに適用可能と考えられる。」
 浅井さんは自身のサッカーコーチング研究室で、学生や院生の論文指導にも当たる。一般には教授からテーマを割り振ることが多いが、浅井研究室の場合は学生自身にテーマ選びを任せているという。
 「学生の自由な発想を尊重しており、練習中や試合中の疑問などから興味を引き出し、そのフレッシュな感覚を論文に落とし込めるようアドバイスする。中には突拍子もないものも多いが、数を集めると往々にしてひょうたんから駒が出る。」

 

【関連】

国立大学法人 筑波大学

 

【関連記事】
・トピックス ディンプル付きサッカーボールの飛び方 (2017年10月30日発表)
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池田 充雄(いけだ・みちお)
ライター、1962年生。つくば市内の研究機関を長年取材、一般人の視点に立った、読みやすく分かりやすいサイエンス記事を心掛けている。