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研究者コーナー

009. スーパー作物キヌアは世界を救えるか?(国際農林水産業研究センター 藤田 泰成さん)

(2024年9月15日)

図1. ボリビア・ウユニ塩湖付近に広がるキヌア畑 ©国際農研

 南米ボリビアの高原地帯アルティプラノにあり「一生に一度は見たい絶景」と言われるウユニ塩湖。標高約3,600mと富士山の頂上にも匹敵する高さで、最高気温30℃、最低気温-11℃という激しい寒暖差。年間降水量は150~200mlと砂漠並みで、土壌の塩分濃度も濃い。どんな作物も育たないこの土地で、唯一栽培できるのがキヌアだ。藤田さんはスーパー作物でありスーパーフードでもあるキヌアの可能性に魅せられ、そのとりこになって研究にいそしんでいる。


藤田 泰成(ふじた・やすなり)さん

大阪府出身。1998年京都大学博士(農学)号取得、日本学術振興会 特別研究員、米国カリフォルニア大学バークレー校 研究員。2000年から国立研究開発法人国際農林水産業研究センター(国際農研)特別研究員。2006年から同研 生物資源領域 主任研究員。2010年から筑波大学大学院 生命環境科学研究科 准教授(連携大学院)。2011年から国際農研 生物資源・利用領域 主任研究員。2012年から筑波大 生命環境系 准教授(連携大学院)。2018年6月から同大 同系 教授(連携大学院)。2021年4月から国際農研 生物資源・利用領域 プロジェクトリーダー。2024年4月から同研 食料プログラム プログラムディレクター。 (画像提供:国際農研)

 

食料安全保障と栄養価の両面から注目

図2. キヌアの育つ様子 ©国際農研

 キヌアはホウレンソウやビーツと同じアカザ科の植物。南米アンデス原産で、現在、ボリビアやペルーで主に生産されている。約8,000年前から栽培され、インカ帝国の時代には主要作物だったが、インカを征服したスペイン人が宗教との関係から栽培・食用を禁止。このため、同じ南米原産で世界進出を果たしたトマトやジャガイモなどの作物に比べ、キヌアは約500年のハンデを負うことになった。

 キヌアに光が当たるようになったきっかけは、1975年に米国科学アカデミーが将来有望な低利用作物の一つとして選んだこと。1993年にはNASAが宇宙飛行士の食料として着目。2013年は国連が国際キヌア年に制定、世界の食料安全保障や栄養改善、飢餓撲滅に資する作物として期待している。

 

図3. キヌアはスープ、チャーハン、麺類など幅広い利用が可能(写真はスープ)©国際農研

 一方、キヌアは栄養面からも注目を浴びている。9種類の必須アミノ酸をバランスよく含みビタミン、ミネラル、不飽和脂肪酸、食物繊維等も豊富。いわゆる「完全栄養食」に最も近い食材だ。またグルテンを含まない、食後血糖値の上昇が緩やかといった特徴もあり、麦アレルギーのある人や健康志向の高い人たちもキヌアを取り入れ始めている。

図4. 炊いたキヌアとリャマ肉のステーキを盛り合わせた、ボリビアでは定番の一皿 ©国際農研

 「地球上の被子植物は約35万種あるが、このうち栽培種は2,500~3,000種、食用としてマーケットに流通しているのは約300種に過ぎない。人類が摂取するカロリーの9割を担う主要作物は稲、小麦、トウモロコシなど数種類に固定され、その構成は長く変わっていない。特定の作物だけに頼っていたのでは不作のときのリスクも大きい。世界の人口増と気候変動に対応するためにも、もっと新たな候補を送り出していかなくては」と藤田さんは警鐘を鳴らす。

 

植物の遺伝子研究を通じてキヌアと再会

 藤田さんが最初にキヌアと出会ったのは1993年。大学院で植物ウイルスの遺伝子研究をしていたとき、ウイルスが植物に与える影響を調べるための検定用植物に使っていた。

 小さい頃から生き物好きだった藤田さん。もともと、野鳥や野生動物に親しみ、興味を深めていたが「実験を組み立てて、いろんなことを明らかにしていくのが面白い」と、フィールド系から実験室系へ移行。大学では、植物病理を専攻し、ナシ黒斑病菌など植物病原菌の遺伝子研究に取り組んだ。

 大学院修了後は博士研究員として米国カリフォルニア大バークレー校で植物ウイルスの研究を続け、帰国後は国際農研に入所。次なる研究分野として植物ストレス生物学を選んだ。「植物ウイルスの方は遺伝子の数が少なく、研究のめどもある程度立ちつつあった。それに対し宿主側の研究は遅れており、ウイルスと相互作用する植物の遺伝子は何か、ちゃんと知る必要があると考えた。」

 植物の生育に影響する環境ストレスには、病虫害やウイルスなど生物的なものと、干ばつ、風害、高温・低温障害など非生物的なものがある。さまざまな環境ストレスに応答する植物の遺伝子を調べることで、さらにストレスに強い作物を作ることや、そのストレス耐性を他の作物に付与することもできる。

 藤田さんらの研究成果の一つに「植物の新たな干ばつストレス応答機構の発見」(2023年)がある。畑作物は、葉のしおれが見られないほどの軽微な干ばつでも、収量が半減するほどの甚大な被害を生じることがある。軽微な干ばつの初期に植物の体内では、まずリン酸の量が低下し、リン酸欠乏応答を誘導する遺伝子が発現していることを明らかにした。

図5. ダイズで乾燥ストレスの初期段階にリン酸欠乏応答が生じることを実証 ©国際農研

 

 とはいえ現在の主要作物はすでに品種改良が重ねられ、残った伸びしろには、限界があるかもしれない。そこで世界中の低利用作物に目を向け、再びたどり着いたのがキヌアだった。

 

極限環境から宇宙も目指すキヌア研究

 2016年に藤田さんらは世界で初めてキヌアのゲノムを解読。2020年には温帯の栽培に適した系統や、海水レベルの塩水でも発芽出来る系統など、系統の多様性を明らかにし、キヌアの高い環境適応性や優れた栄養特性を支える分子メカニズムの解明に道を開いた。

図6.ボリビアとの共同研究も進行中 ©国際農研

 いま藤田さんが知りたいのは、キヌアがなぜ塩害や乾燥などに強いのか、その仕組みを理解し、主要作物の改良にも活かせないかということ。ほかにも作物全体を良くする知恵が、まだまだキヌアに隠れているのではないかという思いもあるという。

 「気候変動が進み、地球環境はより厳しさが増している。いま干ばつと砂漠化により、毎年世界中で1,200万haの農地が失われている。乾燥地域に農業や生活を成り立たせることは、地球規模の最重要課題の一つといえる。」

 キヌアは2017年には世界100カ国以上に栽培が広がった。インドでは干ばつにより落花生が育たなくなった土地での栽培が試みられ、中国では奥地の米や麦が育たたない地域で急速に生産が拡大。砂漠化を防ぐ手立てとしても期待が高まっている。

 加えて、過酷な環境で育つということは、宇宙での農業にもつながる。
 「宇宙ステーションや月面などに人が住むには、そこでの食料の生産が必須。地球から運ぶのには限界がある。当然、消費する水や養分は極力少ない方がいいし、その条件でより栄養価に優れたものを作りたい。キヌアにはそのポテンシャルがあると思う。」

 今年2月からJAXAの研究者との交流も始まった。今後、キヌア研究は宇宙にも飛び出していく。

 

夏休みイベント「こども見学デー・つくばちびっ子博士2024」

 

2024年8月1日に行われた国際農研の夏休みイベントでは、キヌアに関する展示や講演のほか、アフリカのマダガスカルで実施している新しい田植え技術の体験、アフリカや南米などの民族衣装の試着など数々の催しがあった。当日は小中学生ら261人が訪問した。

(左)キヌアを使ったクッキーなどの試食、(右)キヌアの苗とキヌア製品のいろいろ

 

【関連記事】

「干ばつ初期に作物が起こすストレス応答機構を発見」(2023年10月3日発表)

「スーパー作物キヌアの遺伝子機能解明に道拓く」(2021年3月18日発表)

【関連リンク】

国立研究開発法人 国際農林水産業研究センター (JIRCAS)

夏休みイベント「こども見学デー・つくばちびっ子博士2024」(国際農研)

池田 充雄(いけだ・みちお)
ライター、1962年生。つくば市内の研究機関を長年取材、一般人の視点に立った、読みやすく分かりやすいサイエンス記事を心掛けている。