宇宙飛行士・野口聡一さんがJAXAを退職―3回の有人宇宙体験をもとに、研究支援と人材育成に新たな意欲:宇宙航空研究開発機構
(2022年5月25日発表)
(国)宇宙航空研究開発機構(JAXA)は5月25日、野口 聡一(のぐち そういち)宇宙飛行士の退職を発表した。野口さんはこの日の記者会見で、退職の理由を次の搭乗を待つ後輩飛行士に道を譲るためと説明した。今後は26年間の経験を活かし、大学や研究機関、民間企業での研究支援と共に、人材育成などにも関わりたいと、宇宙飛行士人生の第二幕を前向きに語った。
東京都内のJAXA事務所で開かれた記者会見に、野口さんはトレードマークの宇宙服ではなく黒系のスーツ姿で現れ、襟元(えりもと)にスペースシャトル「コロンビア」のバッジをつけて登壇した。
冒頭、中国の思想家、老子(ろうし)の言葉を引用し、「功遂げ身退くは、天の道なり(こうとげ みしりぞくは てんのみちなり)」と引退の気持ちを表現した。立派な仕事を成し遂げたあとはいつまでもその地位にとどまらず、退くのが自然の理にかなった身の処し方である、との意味深い処世訓でもある。
野口さんは、1996年に旧宇宙開発事業団(現JAXA)の宇宙飛行士候補者に選ばれ、3回の有人宇宙活動をなし遂げた。いずれも「初挑戦」の難しいフライトを乗り越え、JAXAの有人宇宙活動を牽引(けんいん)した。
1回目は爆発事故後に再開された第1回(2005年)のスペースシャトル「ディスカバリー」で、「国際宇宙ステーション」(ISS)の建設に参加。延べ20時間余の船外活動を実施した。
2回目(2009年)は、日本人で初めて旧ソ連の「ソユーズ」宇宙船の船長補佐としてISSに行き、約5ヶ月半滞在し、日本の実験棟「きぼう」の建設と科学実験に携わった。
3回目(2020年)に米スペースX社の民間宇宙船「クルードラゴン」の初号機に搭乗し、ISSに166日間滞在した。通算の宇宙滞在時間は344日で、船外活動は合計約27時間に及んだ。
襟につけた「コロンビア」のバッジは、事故で亡くなった7人の飛行士を偲(しの)んだもので、「宇宙はまさに死との隣り合わせだった」と繰り返した。
「私の使命は、犠牲になった7人の見た光景を伝えること」。「生と死の境界点の宇宙を、何度か体験できたのは大きな収穫。私の内面の変化を、単なる主観ではなく客観的に解き明かしたい」。その反面、時代の閉塞感に苦しむ子供たちに、「宇宙が、閉塞感を打破するきっかけになれたらいい」とも語った。
今後の身の振り方では、「3回の飛行でやや燃え尽きた感じもあるが、今なら新たな挑戦にも余力を持って臨めるはず。これまでとは違った景色を見るのも楽しみ」。「子供や若者の教育に携わり、ベンチャー企業や民間企業にフリーな立場で助言ができたらいい。もの作りをすることが私の経験を活かせる道だと考える」と、さらなる未知への挑戦に意欲を示した。
「今後、宇宙に行く予定はあるか」との質問も出た。「民間による地球周回型の宇宙旅行が一気に進みそうだ。そうした水先案内人のお手伝いができればいい」と、断ちがたい気持ちをのぞかせた。
会見に同席したJAXA理事の佐々木宏・有人宇宙技術部門長も、「JAXAには民間企業や外国から人材供給の声が多く寄せられている。野口さんの今後の活動を積極的に応援したい」と温かいエールを送った。