「宝永地震(ほうえいじしん)」上回る津波がそれ以前にあった証拠を発見―紀伊半島の名勝「橋杭岩(はしぐいいわ)」の周辺で:産業技術総合研究所
(2022年9月12日発表)
(国)産業技術総合研究所などの共同研究グループは9月12日、日本最大級の地震とされている江戸時代の「宝永地震(ほうえいじしん)」の津波を上回る巨大津波がそれより以前にあった証拠を見つけたと発表した。紀伊半島南部にある名勝「橋杭岩(はしぐいいわ)」の周辺にある巨岩群を解析することにより発見した。
共同研究には、法政大学、(株)環境地質が参加した。
橋杭岩は、和歌山県串本町の海岸に南北にかけて一直線状に約850mにわたって並んで立っている高いものは10mを超える様々な形をした40余りの奇岩のこと。国の名勝天然記念物になっている。
この巨岩の列は、今から1,500万年ほど前の火山活動でマグマが地表面に噴出した時にできたとされ、大きい岩だと一つで重さが何十tにもなり、橋杭岩の周囲には「巨礫(きょれき)」と呼ばれる巨石が散らばっている。
その巨礫の数は、1,000個を超し、橋杭岩から分離し移動したものと考えられているが、研究グループは巨礫が津波や高潮など波の力によって橋杭岩から離れ現在の位置にまで移動したのではないかと推定し今回の研究に取り組んだ。
先ず調査したのが分布する巨礫の位置や大きさ。すると橋杭岩の周辺に分布する巨礫の数は、1,311個で、最も大きいものの長さは7mもあった。
そこで、研究グループはコンピューター上で模擬的に津波を発生させ、それぞれの巨礫がどの位の規模の津波によって運ばれてきたのかシミュレーションし、南海トラフ沿いで起きた過去最大とされる1707年の宝永地震の際の津波で全てが動いたのかどうかを数値計算により検討した。
すると、多くの巨礫は動いたが、全部は動かず、宝永地震の津波であっても動かない重い巨礫が存在することを発見した。
つまり、このことは、宝永地震の津波を超える巨大津波がそれよりも古い時代に押し寄せていたことを示し、それが宝永地震の津波では動かない巨礫を現在ある位置にまで動かしたことになる。
「分かったのはあくまでも橋杭岩という地点でのことだが、今後他の地域のデータも集めて南海トラフ全体でどのような津波が発生していたのか明らかにしていきたい」と研究グループは話している。
今後想定される南海トラフ地震の規模や頻度などを検討するのに役立つことが期待される。